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辞めるか辞めないか 、で悩む事も出来なかった

 昔の話です。

今の会社に入った頃の事。

 ※このタグの記事はひくしょんということにしたいなり。

http://anond.hatelabo.jp/20130320171138

↑読んでてああ、懐かしいなと思ってたんですが、トラバ見てると「お前は俺か」が量産されてたので割と通る道なのだな、多分。

 

前も書いたと思いますが資格なし、名前書いただけで入れる短大に名前だけ書いて入って、一応卒業しております。

(余談ですが母親の学費は要らないし夕飯は出してやるという甘言に乗りましたが、実は夕飯以外嘘でした)

 

で、最初務めた会社で舐めた態度とってたらひどい仕打ちを受けるようになり、2年位でやめました。

私の態度云々関係なく雄社会で、セクハラが当然の社風だったので正直な所やめてよかったと思っております。(※正直に言うとセクハラというか痴漢行為がありました)

 

そんで、貯金とかなかったので半年間を約20万円で過ごしました。親の温情で住む場所は無償に近い感じで貸与頂きましたが、学費返済はまっていただけなかったので、20-12=8万。半年を八万で生き残り、それなりに満ち足りて居たかったため、食費を切り詰めた所、夏場週に1度倒れるような有様になり、体重は20キロ位落ちました。

だいたいそれでも痩せ気味くらいだったので結果オーライ。 

しかし、急激に体重落ちたとかそういった不健全な生活をしていると、精神も蝕まれてくるもので、働いていないことがひどくストレスになり、就活はもちろんしておりましたのですが、何分就職氷河期後半で割と不況な広島県ではなかなか前職程度の職にありつけず、小さい会社に面接に行って、逆にやめたほうがいいと説得されるなど紆余曲折を経ます。 

そんな感じで、今の会社に入った頃には「私には後が無い」感がとてもあった。先日上がってた就活関係の記事についても思うんですが、当時の私はお祈りに耐えるほど視点が高くなかった。語弊はあるでしょうが、今は当時よりその辺の会社の内情を知り、お祈りしてる側がクソって事例が腐るほどあるのを知ってしまったので当時よりは多分「私もお祈りします」って思えます。あの頃の私にそれを耳打ちしてあげたい。聞き分けなかったろうが。

 

そんで、うちの会社、基本四大卒しか取りません。前任者が止まれぬ事情で尻が決まってるのに経営者にプレッシャーかけられて中途採用決まってた人が辞退したらしい。

仕組みは サイテョ氏の時と同じで、たまたま受けにきた私を仕方ないので入れた。

んですが、当時の同課員のうち採用を決めた部長以外反対して居たんだそうだ。わざわざ責任者にあとから聞いた。

説教の時にお前なんかを反対を押し切ってとってやったのに、みたいな論調で。


で、入ったものの、当初の引き継ぎ予定の時間が半分の時点で急にこれなくなりましたという連絡を残して前任者が勇退。代わりに教育係みたいになった人が、やめた人に聞いてるでしょ?何回も聞かないで、を連発する人でした。

仮に冬子さんとしよう。

かと言ってわからない事を冬子さんに聞かずにやれば「やり方が違う」と目を剥いて怒られます。そんな事はしませんでしたが、前任者がやったとおりだったのに冬子さんとやり方が違ったら「わからない事を聞かずにやった」と暫く言葉で殴られ続けたのでわかります。

最初の一月はそれで、また体重が減った。三キロくらいなので問題ない。

で、ある程度わかったら今度は年でやる雑用が増えたんですが、それを素早く片付けたのが多分まずかった。

不機嫌そうに「もうやったの?」とかな。多分お前に細々した事教える時間は惜しいけど遊ばせといたら自分が何か言われる、が半分、あとの半分はゆっくり仕事して残業賃稼いでたんだよね。

私は空気読まないし、残業賃より時間が欲しかったので、ゆっくりやって欲しそう、というのは何と無く途中で判ったんですが無視して最短で片付けて帰ってました。仕事無いので何かやりましょうか、とか私でもできる冬子さんの仕事しようものなら発狂しそうな顔して怒られたし。というか、そうでなくても発狂した顔で金切り声あげられてたので会社に居たくなかったですね。


で、ブスと罵られたり何らかの理由で汚れたまま棚に戻されてた食器をズボラなお前のせいだと断定され、体調不良で休めば仮病だ、休むなら一週間前に申請出せと説教され、ほかは特に会話もなく、たまたまですが同時期に軽度の眩暈症も発症して気づいたら軽いノイローゼでしたね。

否、診断は鬱だった気がしますが、無職になる恐怖で会社辞めるという選択肢がなかったり、多分鬱病じゃないよね。鬱病の人は会社いけないよね、多分。

あと大量内服で出勤前親に止められたり、吐いたり、二・三回あったかな。それも鬱病っぽくない。

意味もなく涙が出たりしてたので何処かはおかしかったと思います。

「顔色悪いぞ大丈夫か?」って聞かれるだけで涙腺が決壊するレベル。

そこまで行くと20キロ減に気付かなかった母君も、会社辞めたらと呆れ顔で言うようになりましたが、それでもやっぱり就活時代には戻りたくなかった。

あれ、多分確実に減るお金といつきまるかわからないってのが結構なストレスなんだよなー。


で、そうこうしてたら財前さんが入ってきました。

冬子さん、今度は財前さんの教育係になった。財前さんは基本みんなのウケがいいスイーツちゃんなので、「は子さんと違ってしっかりしてる」とか「教えがいがある」とかでキャッキャウフフしておられた。課内で席が近い中では完全な孤立と言うか、やべえ!囲まれた!!みたいな。

一月立たない内に財前さんは確り冬子さんの腰巾着になり、話はするものの「そうですかぁ(笑」みたいな。あー下に見てますネー、みたいな。

そっからの地獄を想像して胸が悪くなってましたが、冬子さんが突然辞めると言い出したおかげで私の心は確り回復しました、って話です。


辞めるって選択肢はあった方が良かったと思ってますが、今また辞めたい辞めたいと思いながらパソコンをワープロとしてしか使えないレベルのみなさんを前に、ここでいろいろ自習てきたのはラッキーだったとも思うのです。

そんな私には娘と言う重圧が加わり、なおのこと辞めにくいであります。

居て良かったかどうかは今はまだ良くわかりませんがあのままの状況ならやめた方が良かったし、自分も前には進まんかったと思います。

多少変われたのは他人が認めてくれたからです。認めてくれる人がいれば望みは少しあるよ。


という、回顧メモであります。